ピアノで好きな曲。リズムか歌かイメージか。
娘、私から見ると簡単な、ある1曲が一向に仕上がる気配がない。
前回発表会で弾いた曲より、はるかに簡単に見える。
ずっと同じ曲をやってばかりでも飽きるよな・・・
でも仕上がらないまま丸にするのも違う・・・
と、悩みつつ、気晴らしに、ブルグミュラーのアラベスクをちょっとやってみる?と提案した。
レベルとしてはまだまだ先だと思っていた。
今ぶつかっている曲は、アラベスクよりかなり手前。
それが、楽譜を開いたらサラサラと譜読みをして、あっという間に両手で弾けるようになった。
びっくり!!!
どうしてだろう?
なんでこの曲こんなに弾けるようになったの?と聞いた時の娘の答えが。
「リズムがあって、速い曲で、有名で、憧れてた曲だから弾ける!」と。
憧れって譜読みをスムーズにもするのね。憧れパワーはすごい。
「でも、この前発表会で弾いた曲は、ゆったりした曲で、速くも有名でもないけど、でもお気に入りだったよね?」
と聞いてみると、
「あの曲は、イメージがあるっていうか、場面が想像できるから好き」
なるほど〜〜〜
今つまずいている曲は、小学校の音楽の授業でも習う有名な歌の曲。
右手でメロディを演奏して、左手で主要三和音のコード伴奏をする。
有名な歌だし、その歌を娘も好きだし、気に入って弾いてくれるだろうという当初の私の目論見は外れて一向に進まない。
娘は歌が好きで、歌心もある。
歌は、声を出して歌える。
一方の私は、歌があまり上手じゃない。
歌は、歌うよりピアノで弾いた方が気分がいい。
この違いは大きいのかも。
私がピアノを弾くのは歌う代わりという部分が大いにある。
歌えないからピアノを弾いている。
その理由が、歌える娘には当てはまらない。
だからこそ、歌の曲は、いくら有名でも、好きな曲でも、ピアノ弾いてもつまらない。
つまらないから気持ちが入らないから仕上がらない。
ピアノで弾くなら、
歌では表せないリズムの刻みや、
和音の響きで作るイメージや画像の方がモチベーションがわく。
「知っている曲が弾けることは楽しい!」は、必ずしもどんな曲にもどんな人にもあてはまるわけではないという当たり前のことを目の当たりにできた。
そして、ピアノ曲の持つ魅力をより細分化できた気がして、いい気づきをもらった出来事だった。
娘は相変わらずいいモニターです。
いつもありがとう。
何度も思い知らされるけど、
ピアノの成長も、ほんっっっっっとに、個人差がある。
その子による。
ほんと、その子による!!
ピアノ経験者の親を持つ生徒さんの難しさ
ピアノ経験者が保護者の生徒さんは、なぜこんなに一筋縄ではいかないのですか。
みなさんどうなんだろう?
うちのピアノ教室で、今のところ一番やめそうな、首の皮一枚でつながっている生徒さんは2人とも親が音大出身です。
その2人の生徒さんはどちらも、レッスン中に目が正気を帯びていない。
表情がほぼない。
いやいややっている感じが滲み出ている。
早く終わらないかな、が滲み出ている。
親にやれて言われているからいやいややっているという感じ。
うーん。
これは生徒さんも辛いし、私も辛い。
これは、いろんなことが原因として考えられます。
- 本人の意思と関係なく親がピアノを始めさせている
- 親の要求が高い
- ピアノ練習への口出しが多い
- クラシックを崇拝していて、本人が好きな曲を認めない
- 自分が習っていた時代と比べてしまう
つまり、生徒さん本人のやる気を奪う行動が詰め込まれている。
本人の意思が入る余地がないのだ。
これは当の親にとってみれば、
「そんなこと言ったって、私たちの時代は先生に言われたものを有無を言わさずにやらされた。
自分の弾きたい曲なんて弾かせてもらえなかった!
甘ったれたこと言ってるんじゃないわよ!」
となることが多いのだけど、言いたいこともよくわかる。
でも、「本人のやる気」というのはかなり繊細なもので、親の態度1つに傷つけられてしまう。
やる気を無くそうなんて思う親はいないと思うけれど、
良かれと思っている行動が、やる気を奪うことにつながっていることがよくあるので、気をつけなければ。
そして、ピアノの先生側にも問題がある。
私について言えば、自分と親の立場が近いので親の思うことがよくわかる。
こういうふうになって欲しいだろうかな、とか、
こういう曲弾いて欲しいだろうな、とか
こういうふうに演奏してくれたら嬉しいだろうな、とか。
そうなるとピアノの先生側も、生徒さんと向き合わず親の方を向いてレッスンしているようなものだ。
そりゃ、生徒さんの目から正気が奪われるのも納得がいく。
親も先生も自分のことを見ているようで、他のものを見ているのだから。
そして限界が来たときに生徒さんが爆発する。
「大人たちいい加減にして!!ピアノを弾いているのは私だ!!」
当然の主張だ。
でも言葉にして自分の思いを主張ができる場合は少なく、たいていの場合、
ピアノ嫌い!親、ムカつく!先生、嫌い!
という反抗的な態度に向かっていく。
そうなる前に、生徒さんの目が生き生きとするのを取り戻すには、
他でもない本人と向き合うしかないですね。
そう気がついてから、どうしても脳裏にチラつく親の思いは意識的にいったん外に置いて、本人の思いを汲み取るようにしています。
少しずつ表情が変わってきたかなと思うこの頃です。
ピアノでストレスがたまるタイプ
ピアノを教えていて、生徒さんそれぞれ本当に個性が違って全員一ミリも同じところなんてないって感じるけれど、
ピアノでストレスがたまるタイプというのがある程度分類できるように感じている。
それは、
「歌心は抜群にあるけれど、音感が優れていない」タイプ。
音楽が大好きで、歌が大好きで、音楽に合わせて自由に体を動かすのが大好きで、、、
そんな様子を見てピアノ教室に通わせようと思ったというお母さんは結構います。
歌に対してとても気持ちが乗るタイプです。
ところが、レッスンを始めるとピアノの練習を嫌がって、あんなに音楽が好きで楽しそうだったのにどうしたのかしら?と、
「思っていたのと違う・・・」という状況になってしまう。
少なくないパターンだと思います。
ここでいう「音感が優れていない」というのは、音の高さが体感と繋がりづらい状況です。
音楽が好きかどうかとはまた別の話で、、
例えば、ドーソードという音があった時に、どのくらい音が離れていてそれが高い方に動いているのか反対に低い方なのか。
そういう音の高さへの体感が、感覚として低い状況のことです。
この音感が優れていると、ある程度曲がわかると音の幅と手の幅が連動して音符を目で追わなくても手が自然と動きます。
4、5歳でも自然とこれが連動している音感が優れているタイプがいます。
歌が大好きで、音楽が大好きで、頭の中に音楽があるのに、音感が優れていないと、頭や心の中の音楽と実際にピアノで鳴らすことができる音とのギャップが広くなってしまう。
そのギャップがピアノへのストレスになります。
歌えばできることがピアノでできない・・・
思い描いている音楽に全然ならない・・・
もともと自由に音楽に合わせて体を動かすことが好きであればあるほど、ストレスになりますね。。。
逆に、音感がいくら低くても、心の中に音楽があまりないタイプはギャップが少なくストレスも低いと言えます。
ストレスは低くても喜びも低いかもしれませんが。
ピアノの音感レベルと、音楽への思いがちょうど釣り合っている時がピアノを続け易い状況です。
ピアノの先生としては、なんとか音感を伸ばしてピアノを楽しんでほしい!と試行錯誤します。
娘とピアノの練習
ピアノの先生の娘という立場にいる我が子。
音楽は好きで、流行りの曲から私が聞くジャズ、クラシック、バレエの曲と隔たりなく聴く。
ピアノよりは歌の方がフィットしていそうだけれど、ピアノの先生を生業にしている母を持ったがために、ピアノは小さい頃から弾いていて今も細々と続けている。
私が彼女を実験台にして色々なテキストを試しているので、色々な曲に触れているものの、楽譜を読むのはあまり得意ではなく、音感も特別いい方ではない。
指先は繊細で器用だけれど、物事を進める上での要領の良さという意味での器用さはあまりない。
歌心は私より何倍もある。
ピアノは私と一緒に遊び過ごす時間という感覚でいるようで、レッスンには通っていない。
他にはバレエも習っていて、厳しい先生に涙することもあるけれど、3年以上続けているとそれなりに形になってきて楽しく通っている。
そんな我が子は例にもれず練習が億劫なようで、どうしたものかと試行錯誤している。
練習が嫌なら全然やめてもいいと思う方なのだけど、
やめたくないという彼女の言葉と、
私よりもよほど歌心があるから勿体無いと思う気持ちを燃料に
細々と続けている。
最近、彼女に一番フィットした練習した方法を2つ見つけた。
歌っぽい曲
1、私が弾いて曲を知る
2、テキストの曲に歌詞を考える
3、私の伴奏で歌う
4、弾く
バロック舞曲風のもの
1、私が弾いて曲を知る
2、バレエの振り付けを考える
3、私の伴奏で踊りまくる
4、弾く
かなり遠回りだけど、娘にはちょうどいい取り組み方のようで楽しくできている。
というのも、曲を弾いているときに一番問題に感じていたのが、
指は動いているのに、音楽をしているという状況になっていないように感じていた。
それが、歌ったり踊ったりすることで音楽が体の中に入って、そこからピアノを弾くことが出来る。
これは私が娘の特性をよく観察することできる親子だから出来ることで、
このやり方で取り組んでいるとあっという間に2、3時間経っているので(ほとんど歌詞を考えたり、踊っている時間だけど。)レッスンで取り入れるのは難しい。
娘のことをよく知っているからこそ、彼女のためにカスタマイズすることができた。
何かの縁でピアノに向かい合う日々を過ごすことになった子どもが、1人もピアノを嫌いにならずに続けてくれるといいなぁというのが今の願い。
試行錯誤は続きます。
ピアノレッスンにモヤモヤしている。
約3ヶ月ぶりの更新。
ここのところ新たな壁にぶつかっている。
教室を開設してしばらくは生徒さんをどのように増やすか、新しくピアノを始めたばかりの小さな生徒さんの導入レッスンをどのように進めるかというのがもっぱらの悩みだった。
教材研究をして、グッズを試し進め方を工夫して、小さい子が得意なこと苦手なことを知り、楽しく続けるにはどうしたらいいか?ということを試行錯誤していた。
しばらくしてレッスン枠は満員になり、固定のメンバーで続けている。
そして今新しい壁にぶつかっている。
壁は4つ。
- 1.生徒さんたちの自宅でのピアノ練習が難しいこと。
- 2.中級以降の子のレッスン内容が勉強不足であること。
- 3.研鑽のために勉強を重ねたとしても収入に繋がらないジレンマ。
- 4.ピアノの練習を頑張り続けることが本当に子供達にとって、また社会的に価値があることなのか疑問がある。
1.生徒さんたちの自宅でのピアノ練習が難しいこと。
これはピアノのレッスンをはじめた当初から変わらない。
親も子も自宅の練習が苦しくなるという状況が少なからず起きる。
これは子どもの性格や向き不向きに加えて、親自身のピアノとの関係が切り離せない。小さい頃に習っていたという親ほど苦しむ傾向にある。
2.中級以降の子のレッスン内容が勉強不足であること。
これは完全に個人的問題。教室を開いた時に入会してくれた子たちが中級レベルに達して自分が通ってきた道だけではなく学びなおす必要を感じている。
そしてこれに関して、
3.研鑽のために勉強を重ねたとしても収入に繋がらないジレンマ。
自宅のレッスンには枠に限りがあり、生徒さんを取れる人数には限りがある。
お月謝をあげたとしても高が知れている。
町の音楽教室として対面自宅レッスンだけで十分な収入を目指すのは厳しい。
でもレッスンが自分の軸にあるのは間違えない。
レッスンをおろそかにする方向はないがいかんせん低収入で、油断すると収入に引っ張られてやる気まで落ちて行く。
ピアノレッスンを軸にしながら、もっと役に立てる方法を考える必要がある。
そして、一番根源にあるのが、次のモヤモヤ。
4.ピアノの練習を頑張り続けることが本当に子供達にとって、また社会的に価値があることなのか疑問がある。
自分の子どもを育てていて改めて感じるのが今の子どもたちはとても複雑な厳しい状況に立たされている。
自分が過ごした子ども時代とは明らかに違う。
「今の子は忙しい」というのはピアノの先生たちの間でよく言われるけれど、忙しいだけが問題ではない。
コロナ、不穏な社会情勢、ゲーム、動画サイト、SNS、スマホ、子どもたちを取り巻く環境が大人と同様厳しい。
ピアニストを目指すような環境と素質に恵まれた子どもたちは、切磋琢磨してギリギリのところに身を置く事くことに価値があるのは確かだ。
でもピアノとの関わり方はそれだけではない。
ピアノが生活に寄り添って、それぞれにフィットした形でピアノと仲良くなることもピアノの持つ価値の一つだと思う。
そういうあり方を目指している時に、今のレッスンのあり方が一番適していると言えるかどうかわからない。
今の子どもたちの心に寄り添うようなピアノのあり方を提案できているだろうか?
モヤモヤが残っている。
レッスン中のほっこり^ ^
三連符の説明をするときに三文字の言葉を当てはめて練習しています。
「いちご」とか「ピアノ」とか。
たまには、生徒さんやお友達の名前を入れてみたり。
身近な三文字のものをいいながらリズム打ちをします。
先日もいつものように「いちご」で練習した後に、
他に何か三文字のもので思い浮かぶものあるかな?
と聞いてみたら、
2年生男子が、
「うーーん。りゅうとか?」
へ?あ、龍?
「龍はどちらかと言うと二音だね。」と私が言うと
「違うよ。り、ゆ、う!理由も三文字だよね?」と真剣な顔。
・・・😮
確かに三文字だけど、「理由」でくるとは思わなくて意外な変化球にびっくり。
その後2人で、
「理由・理由・理由・・・」
と唱えながら3連符のリズム練習をしたのでした^^;
不思議な空間・・・
私だったら絶対に思い浮かばない三文字だったので、思いがけない生徒さんらしいユニークな言葉にほっこり。
楽しい時間になりました。
つっかえつっかえ弾く、両手が苦手な生徒さん・・・って何が足りないの?
教室の生徒さんで、両手で弾いているといつも同じところで止まり、「はじめまして」みたいな感じで楽譜を見て、その音を「ド」から数えて読んで(ええと、ここだったからしら?よいしょ)という具合に弾く子がいる。
曲の途中結構な頻度でそんな感じで止まるので、流れなんてあったもんじゃないのである。
両手の練習を始めたばかりだったらそんな状況も納得ができる。
でもそれが1ヶ月と続く。
ええっと・・・どうしてかな!?毎回ずっこけちゃうのである。
頭の処理速度が追いついていないというのがパッと見の印象だ。
おっとりした性格もあるのだろうけれど、「弾けないところを弾けるまで繰り返すぞ!」と言うような気合いは感じられない。「何度やっても弾けない!」というもがきが感じられない。
そしてもちろん圧倒的に練習量は足りないような気もする。
だからといって、「練習しろ」「気合を入れろ」と言うだけでは無能な先生のお手本のようだ。
自分自身は「気合いと練習量」で乗り越えてきたその過程には、どんな障壁があったのかゆっくり考えてみる。
<生徒さんの症状>
・片手ではゆっくりだが概ねスラスラと弾くことができる。
・両手で弾く時に、音が変わるところ、曲が展開していくところ、和声が変わるようなところで、毎回音を読むために止まる。
・見ている印象としては「なぜか弾けない・・・」と感じている。
・音符を読むことはあまり得意ではないが、全くできなくはない。
・リズムは音の高さを読むよりは得意。
・本人が好きな曲を選んでいるので、曲は理解している。
基本の練習を振り返り、どこに問題が潜んでいるのか探ってみる。
ピアノの練習は、大まかにいうと
片手練習する→両手練習する→仕上げる
という流れになる。
(基本的にはいきなり両手練習推奨派だけど、場合によって片手練習は必要。それはまた別の機会に・・・)
片手練習をする目的は、両手で別々の役割を果たすピアノの演奏で、それぞれの役割を理解するため。まずは片手の音楽を理解するためだ。
片手練習の過程には次のことが含まれる
- 音符をしっかり読む・・・これから自分が紐解こうとする音楽の地図だから、いくら曲を知っているからと言っても、適当に読んでいてはゴールにたどり着けない。
- 旋律を歌って弾ける・・・音感が弱い場合、指の動きと旋律の音が繋がりづらく、片手が弾けたと言っても指の動きを覚えただけで、音の感覚が繋がっていないことがある。指の動きができただけではなく、音として音楽が体に馴染ませるために歌と連動させる。
- メトロノームを使って弾くことができる・・・音楽を動かしている心臓とも言うべき「拍」を揺るがずにメロディを弾くことができる。
- 「1と2と3と4と」言いながら弾くことができる・・・メトロノームに頼らずに自分自身で音楽の心臓を動かすことができる。
器用な人はただ繰り返し練習しているうちにできるようになっていることが多い。
不器用(音感が鋭くない)場合は、1つずつ積み重ねていく必要がある。
生徒さんに足りないのは、1、3、4番。
音感は比較的よく、耳コピで弾けるような部分もあり、楽譜を読まずに鳴らせてしまう。
両手にした時には耳コピ頼りでは限界になり、そこで改めて楽譜を読み始めて、ええっと・・・となっているようだ。
耳コピ状態であっても片手が何となく弾けているので両手に進んでしまったが、そこが1つ見えない壁だったのか・・・。
曖昧な耳コピなので、リズムも曖昧で、メトロノーム合わせると正確ではない。
そのために、自分で拍を取りながらというのはさらに難しい。
片手の練習でまだやるべきことがある。
さて、この片手が完成したとして、いざ両手にする。
両手で弾くということは、脳が指揮者の役割をして、別々の楽器の音楽(左右の手)を融合させて1つの音楽にしていくことだ。
左右どちらも偏ることなく、意識を向ける必要がある。
両手で弾く練習には次のことが含まれる、
- 楽譜をたてに見る・・・左右両方の楽譜を同時に読み進めていく練習
- 両手の音(音楽)を同時に聴く・・・片方ずつではなく、同時に音(音楽)を鳴らし聴き進めていく練習
生徒さんの場合、リズム譜を読むことは得意で問題がない。
でも音の高さを見ることが苦手なので、片手の楽譜でも難しかったのが、大譜表になりさらに難しくなる。ほとんど耳コピで弾いていたので、両手で弾く時に「はじめまして」状態で止まってしまう。
両手の音(音楽)を同時に進めることができていないので、毎回止まってしまう。
これらのための練習は、いろんなパターンで取り組むことができる。
- 両手でリズムを叩く・・楽譜をたてに見る練習
- 片手を弾きながら、反対の手は膝でリズムを叩く・・・楽譜を縦に見ながら、1つは音楽を、1つはリズムのみを意識する練習
- 片手を弾きながら、反対の手の音を歌う・・・楽譜を縦に見ながら、2つのメロディを一人で処理する耳と体と脳を作る練習
片手の楽譜をしっかり読んでメトロノームの練習をもう一度やることと、
片手を弾きながら、反対の手のリズムを叩く、歌うという練習を取り入れよう。
右手、左手で別々の役割を果たすピアノだけれど、そのことをするための準備ができていなかった。
1つずつ段階を踏んで進んでいこう。
そして、この生徒さんの場合、自分の許容の練習量が決められているようで、そこを超えるような無理なことは絶対にしない。ある意味どっしりとした確固たる揺るぎない自分がある。
弾けないからといってその範囲を超えるようなことは決してしないのだ。
逆にいうと、その適切な量の練習は必ずする。
その範囲に適切な量の、適切な練習方法を与えることができれば、いつか必ず弾けるようになる!という道が見えてきた。