これまでのことと、これからのこと

今年がもうすぐ終わる。今年は変化の年だった。

もうすぐ離婚が成立する。

今年の初めに「このままで生きていくのはどうしても耐えられない。」と限界に達し、それを伝えた。それから別居するまで約3か月。別居から離婚まで約9か月。結婚して10年目になった年だった。

 

周りからは仲の良い夫婦に思われていたようで、驚かれる。実際に仲が非常に悪くなったわけでもなかった。暴力も借金もない。

でも私にはどうしても耐えられなかった。別居して、別々の生活を送り、とても穏やかに暮らせるようになった。自分自身を徐々に取り戻していくことができているように感じている。空気が吸えている。好きなものが好きだと思える。それは相手にとっても同じことだったよう。

 

1歳の娘はまだわかっていないが、いずれ特異な状況に気づくだろう。そして、私たちが失敗しなければ当然感じることができた、日常生活に散りばめられた父親のぬくもりや、存在を、彼女は非日常として受け取ることになる。話した内容より先に、その体温を思い出すような、手の形を思い出すような、繋がりを彼女は父親と持つことができなかった。そしてそれは、まぎれもなく、私のせいだ。

 

でも、あのまま結婚しているよりはましだ、と自信なげではあるが、ぼんやりと思っている。私たち夫婦のコミュニケーションは機能していなかった。喧嘩や言い争いはない。でもコミュニケーションがない。お互いに「本当は何を考えて何をやっているんだろう」と裏の顔を探っていた。探っていたのははじめの方だけで、結婚生活の後半は「どうせ本当は別のことを考えて、やっているのだろう」と常に思っていた。実際自分も、本当に考えていることは相手には言えなくなっていた。お互いが偽っている状態。これは、今思えば小さな出来事、当時は一大事件が、積み重なり、信頼関係が崩壊していたのだと思う。それでも修復しようと何度も試みた。でも最後は信頼関係を修復する方法が見当たらなくなった。

こんな状況で育つよりは、父親はたまにしか会えないが、暖かい祖父母、友人たちに囲まれている今の方がいくらかまし、だと思う。

 

それでも、娘から父親を奪ったという事実に変わりはない。自分自身が未熟で、幼く、結婚生活に失敗したために、娘は父親のいない家族で育つことになってしまった。

そんな私が、娘に与えられるものは何だろう。

ごめんね、と言って育てたくはない。

自分の家族に自信をもって、自分に自信をもって生きてほしい。

 

忍耐力は示すことはできなかったが、自分に偽りなく生きることを示せる。真実に真正面から向き合おうとする姿勢。目の前の真実から目をそらさずに生きること。そして人生においては失敗はつきものだということ。

 

これからの私にできること。

一生懸命に生きた結婚生活から、身をもって学んだ具体的な教訓は、彼女が身をもって感じるまで本当の意味ではわからないにしても、言葉で伝えよう。

父親の代わりにはならないまでも、私が与えられる環境に、答えをだすこと。

自分が常に自分であり続けることに努めて、娘と、ひとりの人と人として向き合おう。

 

私と娘の新しい生活がはじまります。