35歳のじぶんさがし

元旦那が夢に出てきた。
なぜか一緒に暮らしていた。
わかりやすいところに浮気の証拠がおいてあり、問いただしたら、「好きな人がいる」と言われる。
ああ、そうか。やっぱりね。
昔だったら苦しくて、気がおかしくなりそうな夢だった。
でも、夢の中では冷静で、「なるほどね。そうだよね。」と妙に納得していた。

嬉しくもあった。
現実ではそんなことは起こったことはない。むしろそういう発言を待っていたのかもしれない。
相手の気持ちが全く分からなくなり、どこを探しても見つからない。
彼の視界の中で私は透明人間で、何が起きているかも、私には伝えられない。そういう日々から明確な答えがもらえて嬉しかったのかもしれない。

色々あってもう1年半が経とうとしている。苦しい日々は徐々に消えていき、平和で暮らせる日々が長くなった。油断するとやってくる胸を締め付けられるような喪失感は、気づけば手元に残っていなかった。

引越しをしたことも大きかった。

新しい環境は思いの外住み心地が良かい。大通り沿いのマンションはこれまで敬遠していたけれど、山の上のマンションに比べて、外界とすぐにつながっている感じがいい。
マンションの外廊下に窓がある家は、部屋のすぐそばを他人が通ることが落ち着かないと思っていたけれど、そこもまた開放感があっていい。

買い物にも便利で、娘の面倒を見てくれる親も近い。快適だ。

他にも手放して良かったものは車。
なくなったら多少困ることが出てくるだろうと思っていたけれど全然。
全く車に乗りたいと思うことがなくなった。

たばこも全く必要なくなったもののひとつ。
吸いたいと思うことがなくなった。不思議なものだ。
その代わりなのか、断然紅茶派だったが、コーヒー派に。
一日に何度もコーヒーを飲むようになった。
おいしいコーヒーを飲むといことが暮らしのひとつの区切りになる。

新しい環境になり落ち着いた日々を送る中で、苦しい日々から抜け出したいと思っていた頃とは違う、現実的な悩みに日々がおおわれてきた。

収入を上げたい。娘との時間を作りたい。

気付けば以前の暮らしではあたりまえだったものを今は欲している。
でも、だ。基本的な精神的安定や信頼感がないところに、時間やお金があっても、まったく魅力的ではなかった。

だから、収入をあげたい、時間がほしい、という思いが精神不安定や不信感につながっては元も子もない。

苦しい日々を経て、私は成長したのだろうか。少しでも大人になったと思いたい。相変わらず楽観的で、お金周りのことになると思考が停止する。ふと気が付くと、かわいく見られたい、甘えたい、という思いがはびこっていて、変わらない自分に辟易する。忘れっぽい私は、きっとこれらの日々のこともいつか
、すっかり忘れてしまうのかもしれない。
でも、変わらなくてもいい。
もっと変わろうとして自分を見失うことほど恐ろしいことはない。

傷つき傷つけあった日々から学んだことは忘れないようにしたい。


■自分に嘘はつかない、そのままであり続ける、ということを忘れない。
自分を偽ることは、人に嘘をつくことと何も変わらない。


■実態不明な役割や集団を示す言葉は捨てる。家族だから、母だから、結婚しているから、など。社会を効率よく動かすために付けられた名称と、個人の幸せとは、全く関係がないことを忘れない。つまり、結局は個人個人の「顔」を大切にすること。多様性を大事にすること。


将来やりたいこともぼんやりと見えてきた。
35歳にして、はじめて人生を歩きだしている。
35歳でじぶんさがしをしている。