常々疑問に思っていることがある。
私が美しいと思ったことを、生徒さんがそう思わなかった時、レッスンで先に進めない、ということ。
私が絶対に正しいという説明ができないこと。
綺麗な音、汚い音、といった時に、汚い音を「好き」と言われた時に、その先に進めないこと。
私が「美しい」と思うとても個人的な感覚を元に、雲を掴むような話をしているのではないか。
美しい音を、そう感じなかった時に「美意識がない」という言葉で切り捨てるピアノレッスン業界への疑問。
美意識を育てる、と言った時に、育てるべき「美意識」とは何なのか。
そこに疑問を挟む余地はないのか。
美学への入門として紹介されていたこちら↓を読んだ。
「美」について、現在地から様々な角度から解きほぐす。
美は一面的では語れないということ。
美をどのように扱うかという問題は、刻一刻と変化している。
音大で、ピアノを専攻していて、美学を扱うところは稀だと思うが、ピアノを演奏して、特に教えている人としては必読。
特に増補版で加えられた「第10章美の哲学」の、「美」を芸術のみでなく多角的に捉え、その価値を探る部分は、とても面白い。
ダントーとネハマスの2人の哲学者の説に即して、美が人生に不可欠であることを論じていく。
しかし読んでますますわからなくなった。
結局のところ、自分自身が「美しい」と信じているものを断固として示すということが、ピアノのレッスンとしては理想的な姿なのかもしれない。
そこを迷っている先生のレッスンは道が曖昧だ。
とはいえ、独断的に言い切れない私は、もう少し裏付けが欲しいので勉強を続けるのみ。