正直ピアノの先生、長めにつぶやく。

ピアノ講師歴10年。教室ブログには書けない本音を長めにつぶやきます。

もしピアノの先生が「もしドラ」を読んだら。マネジャーであり専門家でもある状況は可能!

とあるツイッターを見て、マネジメントとピアノのレッスンって通じるところがあるのではないか?と感じるところがあり、まずは↓こちら↓のやさしい本を読んでみようと。

 

考えてみるとピアノの先生の仕事は多岐に渡る。

音楽の専門家であり、

ピアノの専門家であり、

教える専門家であり、

育てる専門家である。

 

また自宅で教室をやっていれば多くの場合、

事務・経理も1人で行う。

発表会などのイベントを企画実行する。

生徒を増やす努力をして教室という組織の経営をしている。

 

これだけのことを1人でやっていて、ピアノの先生って、みんなえらい!

 

これまで、音楽やピアノ、教えることの専門家としての視点で勉強を続けてきたので、組織を経営するという視点でピアノ教室を考えることはあまりなかった。

レッスンをマネジメントの視点で捉えるとどうなるか?という興味から読み始めたが、結果的にもっと広い視野を得ることができた。

 

野球部をピアノ教室に置き換えてみて、

考えさせられる視点をまとめてみる。

 

目次

 

 

経営者に必要な素質は?

最初に出てくるのはマネジャー(経営者)に必要な資質だ。

根本的な資質がある。真摯さである。(P.17)

「真摯さ」とは。

広辞苑によると「まじめで、ひたむきなさま」。

これは、、、そうありたいと思っているけれど、自分に甘い部分もある私。

合格点に達しているだろうか。

 

ピアノ教室の顧客は誰か?

こちらも野球をピアノに置き換えて考える。

顧客はピアノの生徒さんであり、そこに関わるご家族

ピアノレッスン業界全体もそうだし、

ピアノ業界全体、

さらには音楽業界全体と捉えることもできる。

 

ピアノ教室の事業は何か?

あらゆる組織に置いて、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには、「われわれの事業は何か。何であるべきか。」を定義することが不可欠である。

本文中で、女子マネージャーのみなみは野球部の定義を

「顧客に感動を与えること」なんだ。「顧客に感動を与えるための組織」というのが野球部の定義だったんだ!(P.57)

と導く。

 

私にとってのピアノ教室の定義とは。

ピアノを弾くことで、音楽があることで、人生の豊かになると信じている。

関わる人の人生を豊かにすること

これが現時点の私にとってのピアノ教室の定義。とても曖昧だけれど。

きっとピアノ教室の数だけ違う定義があるのだろう。

そして年数を重ねると更新されていくものなのだろう。

 

マーケティングはできているか?

顧客は何を求めているか。現実を知り、欲求を知りることがマーケティングだ。

生徒さんは何を求めているのか。

生徒さんのご家族は何を求めているのか。

ここを考えて引き出す必要がある。

今のところ、自分にここが足りていないように感じる。

本文中に次のような箇所がある。

「部員たちが練習をサボっていたのは『消費者運動』だったんだ。彼らは、練習をサボるーーつまりボイコットすることによって、内容の改善を求めていたのだ」

ピアノも同じように、「練習をサボる」という状況が起こる。

これは、内容の改善を求める運動なんだと捉えることができる。

音楽の世界だと、すぐに「向いていない」「努力が足りない」などと言われてしまう。

しかし、マネジメントの視点からすれば、これは練習メニューに問題がある。

マーケティングを生かして、思わず練習したくなるような魅力的な練習メニューを作ることが求められる。

 

イノベーションは生み出せているか? 

企業としての成功は、マーケティングだけではありえず、イノベーション=新しい満足を生み出すことにある。

既存のものは全て陳腐化すると仮定して、組織の外に変化をもたらすこと。

ピアノ教室という枠を超えて、それをとりまく外の組織に変化をもたらす。

これを読んだ時にいくつかのピアノ教室と先生方が思い浮かんだ。

既存のピアノ教室のあり方を超えて、こんなやり方があるんだ!と驚かされるような。

イノベーションを行うことで、社会的な意義が深まる。

ピアノ教室の運営に「真摯に」取り組んだ先にイノベーションが見えてくれば理想的ではないか。

 

組織経営する人としての私

 

これら全てのことを1人でやろうとすると、よほどバランスをとって取り組まないといけない!!!!!!

 

これまであった、

  • ピアノ・音楽の専門家としての私
  • 教える人としての私

この2つの「私」にさらに、

  • 組織経営する人としての私

を加える必要がある。

 

なかなかハードである。

でも考えてみれば、多くの人が、仕事上でいくつもの顔を求められるのだろう。

みんな、えらい。みんなすごい。

 

マネジャーであり専門家でもある状況は可能!

本文中では、マネジャーのみなみは、専門家たる監督の通訳の役目を果たす。

この監督が、野球についての知識や情熱は豊富だが、コミュニケーションが得意ではなく、部員とうまく噛み合わない。

そこにマネジャーのみなみが通訳として部員とのコミュニケーションを円滑に測る。

それぞれの「良さを生かす」というマネジャーの役割を果たすのだ。

専門家とマネジャー。

組織には2人必要なのかーーー、と無力感を覚えたが、さらに調べると、

この状況を「プレイングマネジャー」というらしい。

(「もしドラ」では触れられていない)

 

「マネジメントとは仕事である。しかしそれは、マネジメントがすべての時間を費やすほど時間を要する仕事ではない。マネジメントの人間の仕事は、マネジメントの仕事と自分の仕事の二つからなる。マネジメントの人間とは、マネジメント兼専門家である。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)

 

 

なるほど!

ドラッカーは分業すべき、と言っている訳ではなく、兼業こそあるべき形だと述べている。

難儀ではあるが、推奨されない訳ではないとなると、努力のし甲斐がある。

何れにしても。

高度な技術が求められる、ピアノ教室経営・・・

 

 

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