正直ピアノの先生、長めにつぶやく。

ピアノ講師歴10年。教室ブログには書けない本音を長めにつぶやきます。

私がピアノレッスンでやりたいことは

最近は我が子の習い事などを通して自分の教室の方向性が定まっていく。

 

うちのピアノ教室がやりたいことは、音楽を通じて学校生活で学ぶ価値観とは異なる新しい価値観を身につけてほしいということだ。

レッスンでは、学校教育に寄り添うような取り組みや、学校らしさを強化することは、気づけばとことん避けてきた。

 

例えば音楽ノートを作り目標と反省点と練習の記録を自分で書くこと。

うちの教室ではやらない。

これをすれば上達するという主張はわかる。

何かを達成したい時、現状を見える化して言語化し数値化し、計画実行測定改善することが効果的だということはわかる。

 

音楽ノートを強制することで、自由さと気楽さと、水が流れるような、深い呼吸ができるような本来音楽が持っている魅力そのものが奪われるように感じてならない。

「強いる」という言葉は一つのポイントで、これがどれだけ強力な力を持っているか、軽視されているように感じる。

強いることがじわじわと、しかし確実に「好き」を奪っていくところを何度も目の当たりにした。「好き」が感じられない音楽にはいくら技術的がクリアされていても魅力はない。

 

目標や練習過程を言語や表にし見える可することは、学校の学習や社会で何か目標を達成しようとする時に必要になる。

それと同じ方法で音楽に取り組むことに違和感を感じる。

私にとって音楽はもっと自由で、流れる水のようなものだ。

 

 

さらに学校教育的な側面としては、周りに自分をフィットさせることだ。

集団で生活していたら、どうしても自分のやりたいことよりも周囲に合わせなければいけない時がある。

それは学校に限らず、社会生活では多かれ少なかれあることなので、それ自体はいい経験になる。

でも学校から帰ってきたら、周りではなく自分にフィットする時間を過ごしてほしい。みんながやっているからやるとか、

将来の不安から先回りして今を埋めるとか、

そうではなくて。

今の自分を気持ちよく過ごすための時間の過ごし方を手に入れてほしい。

ピアノはそのために誰かの役に立つことができると思う。

 

今の子どもたちが大人になって社会に出る時、今よりももっと厳しい社会になっていることが想像できる。

メンタルを健康に保つことが今よりもっと難しくなっていると思う。

社会に合わせて歩んだとしても幸せに暮らせる保証はない。

自分の感性と向き合うことの大切さを強調していきたい。

大切なのは、進度でもテクニックでも、もちろん賞などでもなく、生徒さん自身。

 

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