生徒さんがピアノ教室をやめると、悲しくて、しばらく落ち込んでいたけれど、最近は少し違う考え方ができるようになってきた。
寂しいのは変わらないけれど。
ピアノとの関わり方はたくさんあって、教室に通うというのは一つの手段に過ぎない。
これまでは、ピアノをやめてしまうということは、ピアノを、音楽を、好きになってもらうことが私の仕事なのに、そうできなかった、という責任感というか敗北感というか、申し訳ない不甲斐ない気持ちでいっぱいだった。
私が教室という場所で教えられる音楽というのは、音楽のあり方のごく一部であり、私がピアノの道を閉ざしてしまったなどと勘違いも甚だしい。
数ある音楽との関わりの中で、ピアノを弾くという行為の、先生に習うという一つの方法をやめたにすぎない。
私の元を去るということは、音楽をやめることとイコールだと思っていた。
それだけ音楽のことを狭く考えていたし、自分のことを大きく見積もりすぎていた。
もちろん、手を抜いていたら容易に道を閉ざしてしまうことができる立場であることも忘れてはいけないけれど。
最近、意識して幅広く音楽を聴こうとしていることも影響しているかもしれない。
外側から「クラシック音楽のピアノ演奏」のあり方や魅力、美德を再認識することができた。
確かに、今、巷で聞こえる音楽はクラシック音楽の語法を受け継いではいるけれど、演奏する人が自分がしっくりくるものを選ぼうとした時に、ピアノ教室で学ぶことではなかった、と気がつくことは大いにあり得るし、喜ばしいことでもある。
考えてみれば当たり前なことなのに、自分が音楽の全てを教えているかのような、そうしなければいけないかのような勘違いをしていた。
ピアノ教室をやめる時には、バンド解散よろしく、「方向性の違い」とか、「前向きな退会」とか、「お互いに新たな道を進むことにしました」みたいな気持ちで暖かく送り出せたらいいな。
ほとぼりが冷めた頃にコラボしたりして。