正直ピアノの先生、長めにつぶやく。

ピアノ講師歴10年。教室ブログには書けない本音を長めにつぶやきます。

ピアノ指導者の理想

ピアノ指導の勉強の現場で、どうにも違和感を感じる時間がある。

お手本のように素晴らしく弾く子の音源や映像を見て、それをみんなで崇めるように拝聴する時間だ。

「このように指導すると、このように弾く子になりますよ」という指導側の態度が透けて見える。

 

ピアノの指導ってそういうものだっけ?

 

この演奏に到るまでの、演奏している子の文脈をズバッと切り離している感じや、理想の形に当てはめていこうとすることが指導なのかと思わされる感じがどうにも居心地が悪い。

理想とされる演奏の裏には、そうではない排除された子が隠れているように感じる。

 

理想を掲げる教育メソッドというのはいつも「排除」と表裏一体だ。

とある有名な教育メソッドは、理想的ではない行動を「逸脱行為」と呼ぶ。
その子にとっては必然の行為でも「逸脱行為」であり、あるべきではない姿とする。本当にそれは「逸脱」なのか。何からの「逸脱」なのか。

 

大人が喜ぶ演奏を、子どもに求めることがピアノの指導なのかしら。
そうではないような気がしてならない。

ピアノ教室をしていて、毎日5人〜10人の演奏を聴いている。
音を聴き、手を見て、体を見る。そこからそれぞれの声が聴こえるし、その時その瞬間の、それぞれの声を聴いている。そしてそれを、その子にとってもっと自然で、いいものに磨いていくというピアノの指導はできないものか。

その子の声を聴くように、ピアノの音を聴き、個別の声を磨いていくような指導ができる指導者になりたい。

 

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