レッスンができる日常が続くことが奇跡のように思える昨今の情勢。
日常をいつも通りに送ることができることに感謝です。
相変わらず、勉強とレッスンと遊びを循環しているわけですが、今日のレッスンでふと、私自身が好きで弾きたいと思う曲だけで、レッスンをすることはできないかしら?と。
導入の時からずっと、曲の魅力を最優先にしてレッスンを組むことはできないかしら?
レッスンは音楽する準備や訓練のための時間ではなく、レッスン時間がまさに音楽をしている時間で、その時間を生き生きとした音楽が奏でられずに終わるなんて、もったいない。
指の訓練のためとか、
譜読みの練習のためとか、
ポリフォニーの練習のためとか、
音楽的な知識を身につけるためとか、
何かの準備のための音楽や、いずれ音楽するための退屈な音の並びとか、
そんなことをやっている時間はない!
生徒さんが週に30分、年間43回過ごすレッスンが、ベストな音楽の時間になるために、もっと選曲に慎重になる必要を感じました。
どんなテキストを使おうかと考えるときに、そのテキストが持つメソッドに注目していたけれど、どんなに理にかなっているメソッドでも曲に魅力を感じなければ音楽の時間としては落第。
そう考えるようになったのは、最近の世界情勢や震災のことに加えて、クリストファー・スモール著「ミュージッキング」を読んだから。
どんな音楽もパフォーマンスにこそ価値があり、奏でる人と聴く人の間にあるものが音楽だということ。
音楽は楽譜の中にあるわけでもなく、理論の中にあるわけでもない。
そのように考えるとレッスンの中で優先すべきことが見えてきます。
以前、譜読みに強くなってほしい気持ちが行き過ぎて、ピアノ教室ではなく譜読み教室になってしまっていたことを反省したばかりですが、
他にも「音楽する」ことに主軸をおくと、レッスンで大切にすることが整理されていきます。
ちなみにちょうど一年前にこんな記事を書いています↓
その後、この気持ちが強すぎて大事な音楽を後回しにしてしまったと結果、こうなりました↓
まず音楽があって、その後に譜読みがある。
そのことを見失ってはいけない。
日々のレッスンを、クラシックやポップスのジャンル関係なく、私自身がシンプルに「いいな」と感じられて、生徒さんにも弾いてほしいと思える曲だけで組み立てて、その中で譜読みも、音楽の仕組みを学ぶこともできるように、プログラムをシフトして行きます。