半年前に導入期レッスンメソッドと並行して勉強することとして、「美学」の視点を勉強している。
▼過去の記事▼
最近、その勉強に加えたものは、ピアノ を弾く体について知ることだ。
と言うのも、最近、指がほんのわずか、思っている場所に、思っているタイミングとずれる、と言う感覚を続けて味わったから。
今、指が思ってもいない動きを勝手にしたような・・・?気のせいか?というような。
一体何が起きているのか?
これまでにない感覚だったのでなんだか怖い。
単純に年をとって20代の頃のように動かないということなのか?
というか、思っている所に思っているタイミングで指が動くって、一体なに?
なんでそんなことがこれまでできてたんだっけ・・・。
ということで「ピアニストの脳を科学する」(古屋晋一著)を手に取った。
こちら▼を読んでふむふむと・・・
感覚的にわかっていたピアノ を弾くという複雑な動きが、脳の仕組みと紐づいて解き明かされていく。
その仕組みは日々の練習で強化されていく。ふむふむ。
「第5章ピアニストの故障」を読んでドキッとした。
もしかして私、フォーカル・ジストニア・・?
そこまで症状は酷くないものの、状況は似ている・・・。
こちらはもう少し調べてみよう。
ところで、こちらを読んでいて衝撃的だったことが2つ。
「第6章 ピアニストの省エネ」に出てくる腕をしならせて打鍵するスキルをどのように取得するか、という部分。
例として登場するのがバットのスイング練習の話。
狙った軌道を描くように意識して練習するよりも、バットをどう振るかは考えず、全力でスイングすることだけを考えて練習する場合の方が、結果的に腕をしならせたスイングの動作を習得できた、ということ。
スポーツの専門家はここら辺のことは常識なのだろうか。
楽器の練習においては、とにかく頭を使って練習することが最善だという風に言われる。
しかし、あくまで体を使うことは、体で使って試して感じてわかることがある、ということだろうか。
全力で使ってみてわかる動きを感じて、獲得できる動作があるのだろう。
狙った動きを意識することが、効率の良い体の使い方を習得することの妨げになるらしい。
「頭を使った練習」がふさわしい時と、そうでない時期があるのだろう。
もう1つは「第7章 超絶技巧を支える運動技能」に出てくる脳の司令にはノイズが混ざること。
筋肉にたくさんの指令を送ると、そこにはノイズ(不正確な動きにつながる)も混ざる。筋力をあまり使わなければノイズも減る。筋力をあまり使わないということはつまり、脱力して打鍵をするということ。
脱力することは、疲労を避けることと、音色への影響のためだと思っていたけれど、ミスを減らすことにもつながるということは知らなかった。
人の体って面白い。