しばらく色々な導入カリキュラムとにらめっこしている。
じっくり読んでいると、そのカリキュラムの本筋のようなものが見えてきて、
「こういう生徒を育てたい」という理想が見えてくる。
理想のピアノを弾ける人の像に向かって、逆算されてカリキュラムが作られている。
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あるテキストはピアノの先生の痒いところに手が届くようにできている。
レッスンをしていると、ある段階に来てから、「え。このことわかっていなかったの?」と途中で気がつくことがある。
自分自身を振り返ると、特にカリキュラムに入っていなかったけれど自然と身につけたような些細なこと。
それを、前もって綿密にカリキュラムとして組み込むものがある。
そうして出来上がっているカリキュラムは、生徒の興味や音楽の本質的なところとは関係のないような部分も見受けられる。
しかし確かによく弾ける子が育ちそう。
ピアノの先生に支持されている理由がよくわかる。
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あるテキストは、著者の求める理想の弾き方以外にならないように、小さい頃から綿密に多くの併用テキストで導いていく。
まだ鍵盤をうまく弾けないような段階から、
これは良くて、これはダメ。
これは綺麗で、これは美しくない。
という具合に示していく。
理想が絞られて明確な分だけ、排除するものも多い。
弟子を育てるというのは、古くからこの形が正しいのだろう。
門下に入れずとも弟子を育てようと思うと、多くの併用テキストと多くの説明が必要になるのも頷ける。
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音楽は答えがないから、教えることが本当に難しい。
子どもの興味や想像力を受け止めようと、自由度を高くすると、教本にはある程度の余白が必要になる。
そこを埋めるのは、生徒の想像力と、先生の引き出しの数。
そして自由度を高くし過ぎて崩壊しないような絶妙な指導力。
難易度が高いけれど、これが理想的だ。
今の時代に合っているようにも感じる。
生徒さんにも人気で尊敬するピアノの先生が、昔からある古典的な教材を使っていると聞いて驚いたけれど、
彼女の引き出しの多さと指導力があれば、テキストはむしろシンプルな方がいいのだろうな。
つまり・・・・勉強あるのみですね。